アヒル・オン・ザ・フリスビー

うるはしき神のみさとしあるからは萬の願ひ叶ふとぞ知れ

私の読書遍歴

私の読書遍歴を振り返ります。すごく雑です。いちいち内容や感想を書くと長くなってしまうので、タイトルばかりを並べました。近いうちに「大学時代に読んでよかった本」として、もう少し丁寧な記事を書くので、興味のある人はそちらもご覧ください。

 

幼稚園まではほとんど記憶がありません。絵本は「だるまちゃん」シリーズを好んでいたそうです。

小学生の頃は「京大生の典型的な過去」みたいな読書をしていました。クラスメイトのなかでは読書している方だが、読書家というほどではない。低学年のうちから図書館にこもって青い鳥文庫を読み漁り、一通り読破したら芥川龍之介なんかに手を出してみる、というような早熟な小学生がたまにいますよね。そういう感じではなかったということです。『算数おもしろ大事典IQ』で算数に目覚め、『ぼくらの七日間戦争』で学生運動に目覚め(?)、『ゴーマニズム宣言』で保守思想に目覚め(??)、『こち亀』で下町に目覚めた(!!!)という理解をしています。ギネスブックは楽しかったですね。あとは『火の鳥』に感動してロマンチストになったり、『遊び図鑑』で遊びオタクになったりしました。他には『歯みがきつくって億万長者』から悪影響を受けて商売に目覚めたのも覚えています(詳しいエピソードは割愛)。

中学生になると本を読まなくなりました。具体的には、3年間で2冊というペースでした。読んだのは『総括せよ! さらば革命的世代』と『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか』で、どちらもノンフィクションです。あとは週刊少年ジャンプを毎週買っていたくらいですね。読解力がなさすぎて現代文では赤点をとり、課題図書すら読むのをサボっていました。それでも文章を書くのは好きで、校内誌の編集部員になって自分で記事も書きました。いまだに「続編を待ってるよ」と言ってくる(イジってくる)奴がいるので、期待に応えなきゃなと思っています。

高校生になると「読書しなきゃな」という危機感を抱くようになりました。最大のきっかけは校内誌の編集長になったことです。編集という仕事(?)があまりにも楽しくて、凝りに凝っていました。朝から晩までずっと編集のことを考えていると、自分のなかに独自の「編集論」が芽生えてきます。しかし、言いたいことを言えていない感じ、あるいは浅いところに留まっている感じがずっとありました。それで先人の知恵を借りようと思い、図書館に通うようになりました。最初に手に取ったのは原研哉『デザインのデザイン』です。これが全く分かりませんでした。知識がないし、読解力もない。このままじゃダメだ! という強烈な危機感を抱きました。思想を実装してヒットさせることを生きがいにしているくせに、雑誌編集が大好きなくせに、読書量が少なすぎる。広範な知識を身につけ、思想史と格闘し、人間への洞察を深めなければならない。こうして少しずつ読書をはじめました。高校2年生の頃です。ラッセル『西洋哲学史』、佐藤信夫『レトリック感覚』、武者小路実篤『友情』『愛と死』などを読んだ記憶があります。雑誌では博報堂の『広告』をよく読んでいました。はっぴいえんど松本隆の歌詞と、俳句甲子園ディベートに影響を受けて、詩への関心が生まれたのもこの時期です。「尾崎放哉すげー!」と呟いてました(今にいたる小豆島や瀬戸内海への憧れにつながります)。あとは英語の勉強にハマり、最所フミ『日英語表現辞典』なんかを放課後に中庭で読み耽っていました。なんとも硬派なラインナップではありますが、いま振り返ってみると、ろくに読めていなかったと思います。なにせ現代文のテストでは、周りが課題文を読み終えたときに自分は半分も読めていない、ということが日常茶飯事でしたから。全く理解できないし、読むスピードも遅いし、解き終わらない。読書モチベはあるものの、知識と読解力が全く追いついていませんでした。

大学に合格したときには読書モチベが最高潮に達していました。落合陽一の影響が大きいと思います。古典を多読して文脈を身体に染み込ませろ、みたいな感じです。大学に合格して最初に読んだ3冊は安宅和人『イシューから始めよ』(先輩がTwitterで推薦していたから)、谷崎潤一郎『陰翳礼讃・文章読本』(落合陽一が推薦していたから)、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(「倫政」で勉強したのと、ページ数が少なかったから)でした。あとはフランツ・カフカ『変身』や、三島由紀夫葉隠入門』あたりも入学してすぐに読んだと思います。スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』は、入学直後にお世話になっていた先生にオススメされて手に取りました。上巻を読むために8時から24時まで16時間くらいノンストップで読んだのを覚えています。この本はあまり面白くなかったのですが、難しくて分厚い本でも辛抱強く読み続ける訓練になったという点で、私の読書史において重要な位置を占めています。あと似たような経験では、ギルバート・ストラング『世界標準MIT教科書 ストラング:線形代数イントロダクション』というめちゃくちゃ分厚いハードカバーの本を、入学前から時計台下のドトールでずっと勉強していた思い出があります。あれは確かに青春でした。さて、こんな調子で1回生のうちに100冊くらい読んでいたら、あるとき「ついに本が読めるようになってきた!」と感じる瞬間がやってきました。主述の対応を鉛筆でメモ書きしたり、知らない言葉を見るたびに辞書で調べたり、読まない本でも書評を読み漁ったりしていたのが功を奏したのだと思います。入学してから半年ほど誰とも会話せず、家に引きこもり、朝から晩までストレスを溜めながら本に向き合った甲斐がありました。この頃からようやく読書が楽しくなりました。そして読書会を主催することで、今までにない交友関係が生まれました。さらには現代文講師のバイト(高給!)に就くことができたので、稼ぎにもつながりました。

ここまでは1回生のときの話で、その後も読書に関するエピソードは色々あるのですが、それは次の記事「大学時代に読んでよかった本」で書こうと思います。ただ、次の記事では本の紹介がメインになるはずなので、読書を通じて形成された興味関心について軽く触れておきたいです。私の興味関心は「統治の技術」にあります。これは私の造語*1で、共同体を統治するための技術を指す言葉です。ものすごく雑に言うと、設計主義批判に社会工学的な立場から応答したいという感じです。マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』やミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』のような、キラキラしたダークな人文系の問題意識を共有しつつ、そのために主流派の社会科学のツールやエンジニアリングの思考法を応用したい。こういう考えを形成するきっかけになったのは、ポズナー&ワイル『ラディカル・マーケット』だと思います。基本的には非現実的なアイデアばかり紹介されているのですが、Quadratic Votingという投票ルール*2を知ったときは感動しました。あとは木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』でカーティス・ヤーヴィンの新官房学を知ったことが大きいと思います。「足による投票」や「底辺への競争」といった経済学の概念を社会思想につなげても良いんだ、と気がつくきっかけになりました。他にはVCASI東京財団仮想制度研究所)の叢書《制度を考える》や、アナリティカル・マルキシズムの本たち、社会的選択理論の本たち、ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』(半分くらいしか読んでいない)、ノーマン『誰のためのデザイン?』にも強い影響を受けました。

老後は日本の古典を読みたいなと思っています。特に源氏物語が楽しみです。ドロドロした恋愛を描いたフィクションが苦手なので今は読めません。あとはコーランも読んでみたいと思っています。フスハーを勉強して認知症を予防しよう!

 

読書を一生の趣味にしたいという思いがある一方で、読書ばかりしていては大事なものを見失うぞという警告も頭のなかに鳴り響いています。ほどほどに楽しみたいですね。

*1:いかにもフーコーが言ってそうだし、実際に言っていた気もする。

*2:複数の議題がある多数決で、それぞれの議題に何票でも投じることができる。ただし議題ごとに、 n票投じるためには n^2クレジットを支払わなければならない。例えば議題Aに賛成 1票、議題Bに反対 2票、議題Cに賛成 3票を投じるためには、 1^2+2^2+3^2=14のクレジットを消費しなければならない。このルールを採用すれば多数決に選好の強度を組み込むことができる。Lalley and Weyl (2018) Quadratic Voting: How Mechanism Design Can Radicalize Democracy - American Economic Association はわかりやすくてオススメ。